我はgiverなり
俺の思考って7年前からなに一つ変わってないなとふと気付かされた。
7年前っていうのは大学を卒業して社会人になった年。あの頃は労働した対価として給料をいただくことが嬉しかったし何より大人になった気分だった。
でも半年くらい経って一通り仕事に慣れてくると
こんだけ頑張ってんだからもっと給料を貰ってもいいはずだ
同期よりも頑張ってるし仕事もできてるつもりだから給料に差がつかないのはおかしい
めんどくさい仕事は別に俺がやる必要はない
と思ってただけならまだしも支社長に対してケンカ腰で言った。
それに関しては後悔よりも度胸がすげえなと今となっては感心している。もうそんな度胸はねえ。たぶん。
話しを戻して思考が変わってねえなと思ったのは今やってる仕事でも同じような不満を抱いたから。
20人くらい同じ仕事をしてる人がいるんだけど
あいつはあれしか進んでないのにもう休憩に行きやがった
なんで同じ給料なんだ
管理する人間はスケジュール管理がめちゃくちゃだしそんなんで偉そうな口聞くなよ
って。
7年前から変わったことはそこから思考を巡らせることができるようになったこと。
俺っていつまで自分の給料でぐちぐち言ってんだろう
ほんの少し仕事ができるってだけでなんで偉くなった気分なんだろう
ってか仕事できてると思ってるのイタくね?
もうお前30歳やで
と考える瞬間があった。
7年前から心が貧しいなと思うと同時にこれからどうすれば変われるんだろうかと考えた。
まず7年前と共通してるのは全部ベクトルが自分に向いていること。
全部俺が良ければいいっていう考え。他人のことなんかなにも考えられていない。
7年前だったらまだいいけどもう30歳だからね、もっと視座を高くしてベクトルを他人に向けていかないといけないよね。
知識としては、成功者がしているのは他人にたくさん与えることだというのを知っていた。giveの精神ってやつ。
それが30になってもできていない自分に少し失望した。
でも逆に今気が付けて良かったと捉えられている自分もいる。
そこは成長したところだな。
ということでこれからは与える側の人間になりたいと思う。
仕事が遅い仲間がいれば手伝うし
スケジュール管理の上手くない管理者だったらできる限りのサポートをする。
励ましの言葉や思いやりの心、救いの手はどれだけ月日が流れても相手の記憶には必ず残る
この言葉をモットーに生きていこう。